散歩録更新再開にあたって


東日本大震災により被災された方、大切な家族や財産を失われた方全ての方々に改めてお見舞いを申し上げます。

現在も避難生活をされている方が沢山いるなか、自分だけが普通の生活をしていていいものだろうか・・・
長い自問自答を繰り返しつつ、何を言っても薄っぺらな感じがして、掲示板にお見舞いを書くのがやっとでした。

散歩録再開にあたり独り言のような自分自身への言い訳を少し書いてみたいと思います。

※読みたくない方はスルーをお願いします。


今私ができること・・・を書くためには私身の上話を書かなければなりません。

私は日本では非常に稀なある遺伝疾病(病気のページ参照)を持っています。(人にはうつりませんのでご心配なく。)
その病名と薬が見つかるまでは、仮病などと言われて世間に受け入れられない自分に自暴自棄になっていたこともあります。
病名が分からず発熱と腹痛を繰り返し、家族にすら受け入れられないその状態は次第に世間や人から自分自身を遠ざけました。
その頃からあまりテレビを見なくなりました。

しかし、やはり孤独は耐え難いものがあり、ブログを書くようになり、離婚して実家に帰るとヒデさんと遊ぶようになって求められるままにHPを作るようになりました。
ブログ・HPに共通する「alonepochi」というのはその孤独の心理状態を表します。


現在は沢山の仲間や友人に支えられ、「今」を生きてはいますが、病気はチリチリと日々私の中にあります。
明日元気でいられるか否か保障のない身体・・・今は薬でコントロールして見た目ほぼ普通の生活ができます。
しかし、会議の出席や出張は今でも心の負担です。
特に子供と遊ぶ約束はプレッシャーです。

そんな私には被災地に赴くことなど到底できません・・・・行って発症したら余計人の迷惑です。

私は手取り給料の半分弱を養育費としています、したがって余りリッチな遊びはできません。
バイクも現状維持がやっとというところでしょうか。
よって大金は募金できません。
流石に今回は万は越しましたが、人によっては数十万を募金された方もいるようです。

震災直後、ガソリンが無かったとき、とてもバイクには乗る気がしませんでした。
車通勤だけは他に手段がないので仕方なく、並んでガソリンを入れました。(往復80kmは歩けません)
聞けば皆同じでした。

計画停電・・・私は小学2年まで茅葺の古い家で暮らしていました。
電灯とガスははありましたが、極小さい頃は冷蔵庫や炊飯ジャーの無い生活、風呂は薪風呂でしたので風が吹けば風呂は沸かせない、そんな生活を少し知っています。
だから電灯と冷蔵庫、PCの電気以外はできる限り使わないようにしています。

私を最も悩ませること・・・・それは少しだけ見るテレビの映像・・・・泣き叫ぶ人、潰れた家、親を失った子供、子供を失った親
書いてるだけでも涙があふれます。
視覚から入る現実は強烈です。
私は「蛍の墓」というアニメ映画を最後まで見られない感性の人間です。

当事者の悲しみを受け入れるにはとても心のキャパが足りません。




で、結局私には何ができるの?

答えはただ普通に暮らすこと・・・
僅かな募金を続け、世の中の経済が停滞しないよう普通に暮らすこと・・・それが答えでした。
「できる」と思う方はどうぞ被災地へ行って支援してあげてください。

震災後約1ヶ月、ガソリンが普通に流通しだした4月10日、震災後初めてバイクに火を入れました。
コンビニで働く人、外食産業で働く人、スーパーで働く人、全ての経済は連鎖しています。
だから電気の節約を除き現実逃避のように震災前に近い生活をすることに決めました。

散歩録は4月24日のツーから作ります。
私の散歩録は「おちゃらけ」ネタが多いです。
作風は人格でもあり、変える事はできないと思います。
気分が悪いと思う方はどうぞ見ないでやってください。

私は今の人生をオマケの人生として生きています。
この病気が発症し、家族を失ったときに私の人生は一度終わったのです。

「起きて半畳寝て一畳」でしたっけ?この言葉大好きです。
人間はそれ以上でも以下でもない、人間です。

私自身が思う人のためにできることをしていきたいと思います。

散歩録再開の言い訳というよりは、「気まぐれポチ」の独り言でありました。

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